5年程前に岡山大学に縁のある教授が、白寿を迎えた日展会友の日本画家を父に持つ女性から、父親の日展や京展の出品作を数点、出来れば父親の故郷である岡山県内の大学、中でも所縁のある岡山大学に寄贈したいと相談を受けました。
相談を受けた教授は講義で出かけていた岡山大学と相談し、準備を進めました。ただ残念なことに作品の岡山大学での収蔵と展覧を見ることなく、その日本画家は山陽新聞社本社で行われた白寿を記念する回顧展が終わると生命のほのおを燃やし尽くしたかのように亡くなられました。
その後、岡山大学学長らと遺族等関係者が立会いの下、贈呈式が行われ、これらの絵は大学内の共通のスペースに展覧されています。そして現在、岡山大学の教職員、院生、学生らにとってのかけがえのない美術作品として日々親しまれています。
教授は留学していたケンブリッジ大学や学会で訪れた欧米の大学を想い出しました。どこにも素晴らしい美術品が掛けられていました。そして、それらの絵にどれだけ励まされてきたことかと。
教授が米国アイオワ大学癌センターに出かけた時の話です。癌センターの建物も数々の素晴らしい美術品で飾られていました。教授は思ったのです。これでどれだけ多くの患者の方々が慰められてきた事かと。
センター長の先生と打ち合わせが終わったあと、教授は玄関等にある素晴らしい美術品は篤志の方の寄付なのかと聞いたのです。
そうすると思いがけない返事が返ってきました。アイオワ大学の先生はこう言ったのです。いえアイオワでは公共の建物を作る際にはその総額の一定割合を美術品の購入に使わなければいけないのです。それで、こんなに素晴らしい美術品に親しむことが出来るのです、と。
この言葉を胸に刻んだ教授は帰国後、日展や新工芸で活躍している現役の作家である友人にその話をし、併せて今の日本ではアイオワの様なことはまだ無理だけれど、それであれば自分たちが間に立って作家の方と大学を繋ぐ努力をしようと、話をしました。
その友人も日本のあまりにも貧困で寒々とした公共建造物に胸を痛めていました。そして話はすぐにまとまり、岡山大学に日本画を寄贈した女性らとともにArt Meets Peopleが京都で設立されたのです。